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海難史上稀に見る大事件「インディギルカ号遭難事件」

猿払村公式note更新頻度変更のお知らせ

皆さんこんにちは!広報担当の“はるな”です。

昨年度まで毎週更新だった猿払村noteですが、令和5年度5月より毎月1日・15日の月2回更新となりました。
時間はこれまでと同じく、18時更新となります。
今後とも猿払村公式noteをよろしくお願いいたします。

本日の記事
さて、それでは本日の記事内容に触れていこうと思います。

本日の記事

今回のnoteでは、昭和14年に猿払村で発生した旧ソ連貨物船の沈没事故「インディギルカ号遭難事件」についてご紹介したいと思います。
広報さるふつ2023年3月号にて特集として取り上げた内容を、note用に編纂してお届けします。

世界の海難事故史上でも稀に見る大事件の顛末を、ぜひご覧ください。

インディギルカ号遭難事件

インディギルカ号遭難事件

1.凄惨な事件の一部始終

事件が起きたのは、昭和14年12月12日。この日はかつてないほどの大時化、暴風雪でした。ソビエト連邦(現ロシア連邦)のカムチャッカ半島の漁場を切り上げたロシアの漁民とその家族、船員など約1100名を乗せ、ウラジオストクに向けて航行したソ連貨物船「インディギルカ号(以後「イ号」とする)(4200トン)」は、悪天候から針路を誤り、猿払村浜鬼志別海岸から約2km離れたトド岩に乗り上げて横転しました。


横転したインディギルカ号

最初に事故を知ったのは、浜鬼志別の浜辺に住む漁師の神源一郎。夜明け前の2時30分頃、彼の自宅の雨戸を激しく叩く者がいました。妙な叫び声も聞こえたため、急いで雨戸を開けると、全身ずぶ濡れでガタガタと震えながら、懸命に沖を指さし助けを求めるそぶりの異国人5人が立っていました。この5人は、横転したイ号の船長が、10人ずつボートに乗せて放った2隻のうちの1隻の生き残りでした。5人は途中で溺死、もう一方のボートでは、8人が波に呑まれ、2人だけが先の5人に続いて救われました。

船が難破したことを知った源一郎は、すぐに、約50m離れた隣の家に住む弟神源蔵に知らせました。話を聞いた源蔵は、腰までうまる雪道を転げるように、約1㎞離れた郵便局へ行き、午前3時過ぎ、そこから鬼志別巡査部長派出所に知らせました。

鬼志別派出所から連絡を受けた稚内警察署では、遭難した船が外国船だけに取扱いに困りましたが、とりあえず、警部補ら3名を現場へ急行させる手配をし、外国に関する事柄を担当する北海道庁外事課へ連絡しました。

現場では、早朝から村長以下の役場職員が浜鬼志別に出動したほか、警防団員、青年団員ら約500人が防寒具で身を固め、浜に漂着する死体の引上げ作業にあたりましたが、時化はなかなかおさまらず、漂着する死体の数はだんだんと増えていきました。

同日午後1時頃、横倒しになった船の横腹には、手をつないで円陣をつくり、子どもたちが海に落ちないように守りながら、救いを求める人々の姿がありました。まだ生きている人々の叫び声が聞こえる中、黙って漂着死体を待っている状況に、猿払漁民を中心とする村民は、海の男として我慢がなりませんでした。神源一郎は、2、3人の若いものを連れて自身が所有する船で沖に乗り出します。しかし、波浪が激しくイ号に近づくことができず、そればかりか、横波を受けて源一郎の乗る船は転覆してしまいます。自ら遭難者の立場に立たされ、お互い励まし合いながら名を呼び、全員が岸辺にたどりついて何とか一命を取り留めました。


救助に向かう神源一郎ら


横転したインディギルカ号の船腹に立つ人々

そのころ、稚内警察署の署員と北海道庁外事課の職員数名が現地に到着し、急きょ救助協議が行われます。そこで、稚内港より3隻の船(1500トン、25トン、20トン)を出動することが決められ、13日午前2時頃に出港しました。

明るくなりかけたころ、現地に着いた3隻の救助作業が始まりました。大型の船は母船として沖合に待機し、イ号にぶつかれば木っ端みじんになる恐怖のなか、命からがら接近して縄を張り、それを伝って一人ひとりを救出。船が一杯になると沖合に待機してある大型船へ移乗させることを繰り返します。午後1時ころには、船腹の上や船内にいた約400名を無事救出しました。

救助に当たった人々

全員救出したと思ったのも束の間、船腹からカンカンと叩く音がしたので、外からも叩くとカンカンと応答があり、船内にまだ数人取り残されていることがわかりました。稚内の工場から機会を取り寄せ、身体がやっと抜けられるような穴を4つ開け、28人を助け出しました。

結局、約1100人が乗船していたイ号から救出できたのは、約400名、亡くなった方は約700名にも及びます。連日、浜鬼志別を中心に約16㎞の沿岸にわたり死体が打ち上げられたため、浜鬼志別、知来別、浜猿払、その他から駆けつけた村民によって死体の収容が行われました。

当時を知る人の話  ※平成17年取材

事件の日は、北西の風が非常に強く、今までで最大の時化だった。当時は漁も終えている時期の為友人宅にいたが、その時、霧笛 (海上で濃霧の際、灯台や船がその位置を知らせて、衝突や座礁を防ぐために鳴らす合図の笛)が「ボーッ」と聞こえてきたのを覚えている。
 その後は、出勤命令があり、馬そりを用意して遭難者の遺体処理を行った。数百体もの遺体が流れ着いたので、全て海岸で火葬した。遺骨はある程度拾い集めて、骨箱に収めてから最終的に小樽へ運ばれた。流れ着く遺体は、2~3年後も数体あった。 
               ――当時16歳、浜鬼志別在住の方より――

2.海難事故防止と国際親善の願いを込めて

インディギルカ号の遭難は、世界の海難史上稀有の大惨事でしたが、当時ノモンハン事件など国際情勢が緊迫した状況下にあったことなどから、新聞、ラジオで報道された以外は、日本のどの機関の公式記録にも記されないのみならず、激浪に飲み込まれ海の藻屑と消え去った約700名の尊い生命と、その救助に全力を注いだ人間愛を知られることもなく、忘れ去られようとしていました。

ノモンハン事件とは?

インディギルカ号遭難事件と同年の昭和14年5~9月、日本と旧ソ連が満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって激突した「ノモンハン事件」が起こりました。
日本軍の犠牲者の中には猿払村から出征した者も含まれていました。9月15日には停戦協定が結ばれましたが、両者の戦意は完全に無くならず、日ソ関係は緊張状態にありました。

そんな中、猿払村では、毎年8月に法要を営み、昭和31年12月12日、第2次大戦における日本・ソ連間の戦争状態を終了させた宣言「日ソ共同宣言」批准書が交換された日と同日、偶然にも村と旧祖協会稚内支部共催でインディギルカ号遭難者の17回忌慰霊祭が行われました。

 このころから、多くの命が異国の地で失われたこと、村民たちが救助活動を行ったことを広く知ってもらうために慰霊碑を建立しようとする動きが強まりました。「国際親善の立場からインディギルカ号遭難の事実と当時の猿払村住民の人間愛と活動状況、その後の措置について広く全国的に啓蒙してその協力を求めること」「この事実を相手国であるソ連政府にも知ってもらうこと」を解決して初めて、慰霊碑建立の目的が達成されるものとして活動を始めます。

 そして、全国から募った浄財やソ連からの寄附金・碑用のシベリア産花崗岩の寄付により、昭和46年に「インディギルカ号遭難慰霊碑」を現在の道の駅さるふつ公園の向かい側の海岸に建てることができました。

インディギルカ号慰霊碑

 また、慰霊碑建立のために集められた資金の余剰金から、昭和47年10月10日に「日ソ友好記念館」が建てられました。(後に日ロ友好記念館に名前変更)館内にはインディギルカ号遭難当時のパネル写真、旧ソ連から送られた民族衣装などが展示され、猿払村とロシアが長年にわたって紡いできた友好の絆の太さを知ることができる施設でしたが、平成23年に老朽化のため、取り壊されました。現在、展示資料の一部は、浜猿払の郷土資料館(仮称)に保管しています。

3.事件がきっかけの交流事業

 この悲惨な海難事故をきっかけに、慰霊碑の建立や友好記念館の建設などの取組が高い評価を受けて、様々な面で猿払村と旧ソ連との間で交流が進んで行きました。
 平成2年12月25日には、ソ連・サハリン州オジョールスキイ村と友好姉妹村締結に調印しました。

 その翌年からは、猿払村から拓心中学校3年生がオジョールスキイ村を訪問、オジョールスキイ村から生徒を猿払村に迎え入れる「学童交流事業」を実施。夏休みの期間を利用して、毎年1回の相互訪問を平成16年まで続けるなど様々な交流を行いました。

友好姉妹村締結調印式の様子

海難事故を防ぐため、本村初めての灯台を設置

浜鬼志別トド岩は、ソ連船インディギルカ号をはじめ、数多くの遭難が相次ぎ、これまで「魔の暗礁」とされてきました。岩礁が多く、漁船の操業時に危険な区域であるこの付近一帯を特に照らすため、昭和50年11月7日、猿払村で初の灯台が設置されました。

設置された灯台

 事故の発生から80年以上経過し、このできごとを知らない方もいたのではないでしょうか。このような事故が二度と起こらないことを願いつつ、事故や災害への日頃の備えも忘れないようにしなければなりません。

おわりに

本日のnote「インディギルカ号遭難事件」についての記事、いかがでしたか?
それでは本日はここまでといたします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
次回の更新もよろしくお願いいたします。

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